14番目の焚火おやじ
焚火をこよなく愛するおやじの日々
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2007年07月11日 (水)
■ 国策という暴力

社団法人デジタル放送推進協会の間部新理事長のインタビュー記事(読売新聞2007年7月10日夕刊)ひと月ほど前に、約4年後にテレビのアナログ地上波が停波になるという話題をここでしました。そんなことは所詮無理な話だから(アナログ・テレビが使えなくなるという)心配はするに及ばず‥ということを言っている人がいるという話もしました。私はテレビを見ない生活がすっかり体に染み付いてしまっているので、今ウチにあるテレビが4年後に映らなくなろうとも、テレビ局がツブれようとも、今と何ら変わらない生活をしていると思いますし、4年後に向けて何かをしておこうとも思いません。つまり、テレビ放送がデジタル化されようとどうなろうと、そのこと自体には何の興味もありません。

しかし、国策という名のもとに、権力という名の暴力のもとに強引に推し進められているデジタル化に疑問を持たずにはいられませんので、この話題には敏感になっています。読売新聞の昨日の夕刊に、社団法人・デジタル放送推進協会(DPa)の新理事長に選ばれたという日本テレビ代表取締役相談役のインタビュー記事(写真)が載っていましたので、興味深く読みました。それによると、デジタル化への投資のために放送局自身の経営が圧迫されているということが述べられており、アナログ停波の影響を早めに把握するためデジタル波のカバー率が高い地域をみっつほど選び、09年を目処に先行停波すべし‥ということを訴えています。また、低所得者層への公的補助なども(国策なのだから)国が補助すべきである‥ということも主張しています。

一見するとまともなことを言っているようにも聞こえますが、先行停波は2011年までは使えると思っていたテレビが、2年前倒しで使えなくなるということですし、公的補助というのは何のことはないデジタル・テレビ普及のために税金を払えということを言っているわけです。それだけではなく、アナログ停波によって捨てられるであろう古いテレビの処分費用だって我々が負担しなくてはならないのです。テレビのデジタル化って、全ての国民に痛みを押し付けてまで推進しなければならないものなのでしょうか。痛みは一時のものかもしれませんが、みんなが相応の負担をしてまで得られるものって何なのでしょうか。低俗な番組がちょっとキレイに見えるということのために、我々は一体いくらの投資をしなければならないのでしょうか。

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