14番目の焚火おやじ
焚火をこよなく愛するおやじの日々
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2010年12月21日 (火)
■ 組織とは何か

JR西前社長無罪を主張(2010年12月21日 読売新聞夕刊より)RICOH GX200 24mm ISO64 F2.5 1/60

JR 福知山線脱線事故からもう 5 年以上も経過しているのですね。事故の起きた 2005 年当時、その様子をうつした空撮映像か何かを最初に見た時に、「一体何が起きているのかが分からない」と思ったことを覚えています。それ程にこの事故は衝撃的でした。新聞によると、この事故によって 106 名の乗客の方と、運転手を合わせた計 107 名が亡くなられたとのことです。あらためてお悔やみを申し上げます。そして、この事故が起きた当時の前社長が業務上過失致死傷で在宅起訴され、その初公判が今日あったそうです。その初公判で被告たる前社長は「当時の自分の立場では、事故発生の可能性を予見できず、従って無罪である」といった趣旨のことを罪状認否で述べたそうです。別の言葉で悪い言い方をすれば、「俺よりもっと現場に近い誰かが悪いのだ‥」と。

組織の問題の責任は全てトップの責任である‥私はそこまでのことを言うつもりは毛頭ありません。巨大組織であればなおさらのこと、組織の末端までくまなく目が届き、全てを把握しなければならないのが当たり前である‥そんな、無理難題を押し付ける気もありません。しかし、問題の事故現場は誰もが「危ないとは思っていなかった場所」ではなく、少なくとも運転手の間では「危険個所である」といった認識があったという報道を以前ネットだか新聞で見た気がします。つまり、ある人(例えば前社長)にとっては青天の霹靂であったとしても、別の人にとって(例えば運転手)は「やっぱり起きてしまったか‥」ということだったかもしれないわけです。その「危険だと思う」という情報がどこかで止まってしまったわけで、前社長は自ら「私は裸の王様だったのです」と公言してしまったようなものだと思います。

おそらく前社長一人の責任ではないです。JR 西日本という組織の責任でしょう。しかし、人が組織をつくり、組織が人を作るのです。たとえ、長い年月を掛けて組織が社長を JR 西色に染め上げてしまったとしても、その組織を変えることが結局できなかった前社長にも責任の一端はあるはず。もちろん、社長まで声を届けることができなかった現場や中間レイヤーにも責任の一端はある‥。とはいえ、洋の東西を問わず「上にモノを申し上げにくい」のは誰とて同じものではないでしょうか。この事件の本質は、上に立つ者が下の者の声を真摯に受け止められない組織は死ぬ‥というところにあると思うのです。そういう意味では、司法がこの事件をどう結論づけるのかは非常に興味のあるところです。誰かを有罪にして、あるいは無罪にして終わる‥と、いう話ではない。どこまで本質に迫った判断が出るか、注目したいところです。

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